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リーマンショックの話題について


まず、アメリカでサブプライムローンという、低収入というかいわゆる貧乏な人向けのローンがあったんです。


それは一般の人向けのローンよりも利子は高くつきます。

サブプライムローンの大元はリーマンブラザーズっていうアメリカの証券会社です。

簡略するとリーマンブラザーズが貧乏人向け住宅ローンをやってたと思ってください

そのサブプライムローンが流行ってたころ、アメリカの地価が上昇してたので、貧乏な人たちはそのローンでお金を借りて土地が高くなったら売って儲けて借金とかを返そうとしてたんです。

ですが、不景気がおきて予想とは裏腹に地価が下がってしまいました。


ここで問題だったのはアメリカの住宅ローンのシステムです。
日本の住宅ローンはローンが残ってる限り家を手放しても払わなくてはいけませんがアメリカの場合家を手放せば残りのローンは払わなくて良いのですよ。


早い話がローン全部返済してなくても家を売り払っちゃえば借金チャラです。


なので、払えなくなった人たちが次々家を手放しました。

そんな紆余曲折があってリーマンブラザーズが貸したお金を返してもらえなかったりして経営が悪化して倒産したんです。


リーマンブラザーズって言うのは大手の証券会社だったので、他にも社債とか発行してたので、それを持ってた他の銀行とかの経営も悪化してしまい、アメリカが更なる不況に追い込まれてそれが日本とか他の国々にも影響したわけです。

簡単に言うと。

お金を借りてた人たちが返済できなくなったこと=サブプライムローン問題


それによって貸していた会社(リーマンブラザーズ)が経営悪化、後に倒産。それによるアメリカ経済、世界経済への(悪い)影響、要するに世界的な不況=リーマンショック

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 2004年 頃から2008年 秋頃にかけて(ピークは2008年)、目立った供給減少を伴わない原油価格 の高騰が続いた。これを第三次石油危機と呼ぶ者もいる[1] 。2008年2月 にはニューヨークの商業取引所の原油先物市場で100米ドル /バレル を突破した。


 ピーク時の価格は、第一次・第二次石油危機のピークに比して、名目で3倍を超え、実質でも上回っていた。ただし、第一次・第二次に比べ、価格の上昇速度は緩やかだった。

高騰の原因は


中国 インド などBRICs と呼ばれる新興国の経済発展による原         

 油需要の増加


○地政学 的リスクを背景にした原油先物市場 における思惑買い


産油国 の生産能力の停滞


○投機的資金の流入



 が挙げられるが、その中で最も大きな理由と指摘されているのは、余剰マネーとしての投機的資金が原油の「現物」や「先物」を買い占めていることである。


世界の金融市場から見ると原油の市場規模は相対的に小さいものだが、そこに住宅サブプライムローン 問題に端を発した米国不景気から投機的資金が原油市場に流れ込めば、「先物」としての原油価格が急騰するのも当然のことである。


 事実、原油先物相場が史上最高値を更新し続けているなど原油価格 高騰を受けて、石油が関係している製品の値上げも相次ぎ、昨今のサブプライムローン問題などにより、さらなる原油価格高騰および値上げ幅の上昇を招いていた。


 その後、サブプライム問題が世界的な景気の後退 を引き起こし、余剰マネー自体が乏しくなるに至り、2008年9月 下旬頃よりわずか2ヶ月で原油価格は半分程度にまで大きく落ち込んだ。

しかしその後しばらくすると原油価格は再びゆるやかに回復し、2008年のピークには及ばないものの高値が続いている。








WIKIさん引用

第二次オイルショック

1979年イラン革命 により、イラン での石油生産が中断したため、イランから大量の原油を購入していた日本は需給が逼迫した。


また、1978年 末にOPEC が「翌1979年より原油価格を4段階に分けて計14.5%値上げする」ことを決定し、原油価格 が上昇。第一次オイルショック並に原油価格が高騰した。


しかし、第一次での学習効果、省エネルギー 政策の浸透(深夜のテレビ番組放送の自粛や、第一次同様のガソリンスタンド の日曜祝日休業などが行われた)、企業の合理化効果などにより、日本経済に対する影響は第一次オイルショックほど酷いものにはならなかった。

また第一次の頃ほど値上げは長引かず、イランも石油販売を再開し、数年後には価格下落に転じて危機を免れた。一方でこれとは別の要因として米国のインフレの亢進と長期金利の高騰にともなう金融市場の混乱が深刻さを増しており、オイルショックを端緒とした不況は米国経済の復調をまつ1983年ころまで長引いた。


オイルショックの与えた影響

先進国の経済が中東 の石油に極端に依存していることが明白となった。中東以外での新しい油田開発、調査が積極的に行われるようになった。


原子力風力太陽光 など非石油エネルギーの活用の模索、また省エネルギー技術の研究開発への促進の契機ともなった。石油の備蓄 体制を強化することも行われた。


また、モータリゼーション の進展により自動車 の燃料消費が石油消費に高比率を占めていたことから、鉄道 を始めとする公共交通機関 を再評価する動きが出た。

フランスジスカール・デスタン 大統領の発案により、1975年 に第一次オイルショック以降の経済の回復を主たる議題とした第1回先進6ヶ国首脳会議(サミット )がフランスのランブイエ城 で開催された。


インフレーション 傾向を強めていた先進国経済は、オイルショックによりスタグフレーション に突入。1971年ニクソン・ショック と合わさり、戦後世界経済の成長体制は破壊された。


工業化による投資で対外債務を膨張させていた南米やアフリカなどの開発途上国は石油輸入コストの急上昇で債務返済を遅延することとなり、国際金融問題となった。


石油輸出国は、経済制裁及び輸出価格の急騰により政治・経済両面でのパワーを持つこととなった。輸出対価として得たドル(オイルダラー )は世界金融市場の中で存在感を強めた。湾岸諸国は莫大な歳出が可能となり、福祉の充実を達成した。







引用WIKIさん


投資信託を知れ!老後の年金では心配?

「今回は、ブラックマンデーについてだよ!!


当時、びっくりしてこんな顔になっちゃったよあせる





          ○ブラックマンデー○


 1987年10月19日(月)、ニューヨーク証券取引所で平均株価が508ドルも下がる(22.6%)という史上最大の大暴落があり、世界恐慌の引き金になった。


 1929年10月29日(木)の「ブラックサーズデイ」を上回る下げ幅ということで、世界中が戦争でも起きるのではないかと騒然としました。

 この暴落の背景には、当時アメリカの財政赤字や貿易赤字が拡大傾向にあり更にはドル安でインフレ懸念があった事などがあります。


 アメリカはインフレ対策で9月5日に公定歩合を0.5%引き上げ6%にしましたが、10月14日に発表された貿易収支が予想を大きく上回る赤字額であったことから、企業成績に対する不安感が募りました。

 しかしそれにしてもここまでのとんでもない下げ幅になるほどの要素は無かったといえます。このブラックマンデーが起きた最大の原因は、大口投資家の「プログラム売り」でした。

 大口投資家は投資している株式の銘柄をコンピュータで管理していますが、万一どれかの銘柄が一定の幅を超えて価格が下落した場合、損失を最小限に抑える(損切りする)ため、その銘柄を売りに出すというシステムを組んでいるのが普通です。


 ところが、みんながそういうシステムを使っていると、いったん株価が下がり出すと、全員が一斉に自動的に全ての株を売り始めることになり、売りが殺到して株価の下げ圧力が強まり、一気に大暴落を起こしてしまうのです。

 また他にも株価が下がり出した場合、投機筋がまだ株価が高い内に空売りをして、下がりきった所で買い戻して利益を得ようとするので、このような暴落に拍車を掛けてしまう面もありました。

 人間が介入して株の売買をおこなう場合は、ある程度下がっても本来実力のある企業ならすぐに回復するだろうと判断して売らない人たちもいるので、あそこまでの暴落を起こすことはそうないのです。


 また、当時は株式管理をしているプログラムのロジックが、まだ未熟だったといえます。また更にはこのようなプログラム売りというものが普及しているということを政府や取引所などがまだ充分認識していなかったことなどもありました。

 しかし、この時のアメリカ政府の対応は立派でした。FRB(米連邦準備制度理事会)のグリーンスパン議長が講演先から、FRBの強い姿勢を発表して信用不安の打ち消しに務め、また大企業や証券会社などへの個別折衝が実り、幾つかの大企業や証券会社が積極的に株を買うという発表をしてくれます。


 このため翌日20日のニューヨークの株価は一転して102ドルの上昇をします。
 
 更に翌日はこの大暴落のおかげでいきなり経営危機に陥ったコンチネンタルイリノイ銀行の子会社に対して、超法規的な救済策をFRBが指示したことから市場に安心感が広がり、21日は今度は史上最高の上げ幅となる186ドルもの平均株価上昇が起きて世界的な危機は回避されました。


 もっともこのニューヨーク史上の株価が完全に元の水準に戻るには、その後2年ほどかかっています。

 ブラックマンデーの影響は当然世界各地の株式市場にも現れ、日本でも東京証券取引所は株価が3836.48円(14.9%)下がる暴落を起こしましたが、翌日には2037.32円(13.24%)上昇してあっさり回復。


 その後半年ほどで元の水準まで戻しました。そしてこの株価の変動でおいしい目にあった人たちの影響で、バブル経済の「財テク」時代がやってきます。しかし当時、日本ほどすばやく株価が回復した国はほかになかったようで他国は結構後遺症に苦しんでいます。





http://www.ffortune.net/social/history/seiyo-today/blackmonday.htm

引用元です





投資信託を知れ!老後の年金では心配?


ムスカ「オイルショックだと・・・・・


ラピュタは、飛行石で動いているのだよ!!



○第一次オイルショック(第一次石油危機)






  ○発生○


 1973年 10月6日 第四次中東戦争 が勃発。これを受け10月16日 に、石油輸出国機構 (OPEC) 加盟産油国のうちペルシア湾 岸の6ヶ国が、原油公示価格を1バレル3.01ドルから5.12ドルへ70%引き上げることを発表した。


 翌日10月17日 には、アラブ石油輸出国機構 (OAPEC)が、原油生産の段階的削減を決定した。またアラブ石油輸出国機構(OAPEC)諸国は10月20日 以降、イスラエル が占領地から撤退するまでイスラエル支持国(アメリカ合衆国 オランダ など)への経済制裁 (石油禁輸)を相次いで決定した。


 さらに12月23日 には、石油輸出国機構(OPEC)に加盟のペルシア湾 岸の産油6ヶ国が、1974年 1月 より原油価格 を5.12ドルから11.65ドルへ引き上げる、と決定した。




○日本の対策○


 当時の日本 は中東の政治に深く関わってはおらず、イスラエルを直接支援したこともなく、中立の立場であった。しかし、最大のイスラエル支援国家であるアメリカ合衆国 と強固な同盟 を結んでいた。


 それにより、イスラエル支援国家とみなされる可能性が高く、急遽三木武夫 副総理 を中東諸国に派遣して日本の立場を説明して支援国家リストから外すように交渉する一方で、国民生活安定緊急措置法 石油需給適正化法 を制定して事態の深刻化に対応した。



 さらに石油価格の上昇は、エネルギーを中東の石油に依存してきた先進工業国 の経済を脅かした。日本でも、ニクソン・ショック から立ち直りかけていた景気を直撃。


 前年からの列島改造ブーム による地価急騰で急速なインフレーション が発生していたが、オイルショックにより相次いだ便乗値上げなどにより、さらにインフレーションが加速されることとなった。


 日本の消費者物価指数 1974年 (昭和49年)は23%上昇し、「狂乱物価 」という造語まで生まれた。インフレーション抑制のために公定歩合の引き上げが行われ、企業の設備投資などを抑制する政策がとられた。結果、1974年(昭和49年)は-1.2%という戦後初めてのマイナス成長を経験し、高度経済成長 がここに終焉を迎えた




 ○日本への影響○


 トイレットペーパー 洗剤 など、原油価格と直接関係のない物資の買占め騒動 トイレットペーパー騒動 ・洗剤パニック)、デパート エスカレータ の運転中止などの社会現象も発生した。


 競争力を失った「構造不況業種」を縮小させ、成長分野に資源を振り向ける「積極的調整政策」。素材産業の不振、加工組立産業の成長。


 雇用調整(新規採用の停止、残業時間の短縮など





要するに、石油の価格を上げられて


日本では、今のうちに石油に関係するもの(トイレットペーパーなど)


を買い占める行為が目立った。







参考文献WIKI

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Author:お助けブロガー
はじめまして。

古川拓哉と申します。

私は、追手門学院で株式のゼミを専攻しています。

株式ではありませんが、投資信託を運用しています。

今後の活動については、就活をする予定はありません。

私の経験・知識を生かし現在ネットワークビジネスを展開中です。

半日、パソコンで作業している日々が続いています。

社会人的にも恥ずかしくないように、努力していき、成果を上げたいと考えています。

同じようにネットワークビジネスを考えている方、投資信託ってなに?って方は、私の知識の範囲でお答えします。

お互いに情報交換など出来たら光栄です。





私は、投資信託によってコツコツ貯金を貯めています。




初めは、株式投資も考えてたのですが、元手が結構かさむので少ない金額から始められる投資信託を始めることにしました。




まだ始めて3年ほどです。




ですが20万から始めたのですが、現在60万ほどまで増えています。




のんびりやれてお金貯まるので楽しいです。




自分自身投資の知識・実績もついたのでブログを立ち上げました。




今では、毎日ニュースみたり為替相場なども気にしながら見るようになりました。(°∀°)b




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